以前ご紹介したと思いますが、ふと目にしたエッセイが結構面白くて、佐治さんの書かれた書を二冊ほど買い求めた事があります。
理学博士、佐治晴夫さんのエッセイより・・・
抜粋引用させて頂き、うさの言葉に置き換えている箇所もあります。
適齢期と言えば、結婚を思い浮かべますが、万人に共通な時期ってあるのでしょうか?
という事で・・・
佐治さんは、無理に決める必要はないと。
生物学的には、出産適齢期はある。
しかし、子供の親にならずとも人類に貢献は出来る。
人は三世代でほとんどの記憶が途切れるように設計されているそうで、個体としてよりも種としての存続が優先されているから。
考えてみて下さい・・・自分の記憶の中にしっかりとあるのは、祖父母までで曽祖父母になると、ほとんど記憶の外に出てしまう。
やや極端な言い方・・・将来的には、自分の子供と他人の子供の区別がつかなくなると言う事。
ふ〜ん・・・
そうかぁ〜・・・
そんなものなんだ。
こんな風に考えてみると、私たちの人生においては、すべての瞬間が適齢期であり、何かを始めよう、と思い立ったその時が適齢期だとも言えるそう。
つまり生鮮商品のように賞味期限などは無い!というのが人生。
私たちの体はおよそ数十兆個の細胞からできていて、その数千億個は一晩で新しく生まれ替わっているそうです。
で、佐治さんは、だからこそ、心身ともに、日々、新たな自分を生きてみたらと提案されています。
エッセイの書き出しに世阿弥の幼少期から老年期にかけて人生を7段階に分けて、芸事の精進の奥義を記した「風姿花伝」について・・・
世阿弥は、芸の極みを「花」と表現。
中でも「時分の花」「まことの花」のくだりは圧巻だそうで。
「時分の花」とは、ある時期にだけ咲かせることのできる鮮やかで魅力的な一過性の花。
「まことの花」とは、自分という木は枯れていくとしても、そこで、ひそやかに咲き続ける芸時究極の「花」。
「時分の花」をとことん享受し、味わい尽くしながら、慢心することなく、さらなる研鑽を積むことが「まことの花」への入り口だと説かれている。
つまり、私たちの人生に置き換えれば、すべての時期が適齢期。
松尾芭蕉の「草いろいろおのおの花の手柄かな」という作品についても、「草にはさまざまな種類があるが、それぞれの花にはおのおのが持って生まれた深い味わいがある」。
金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴」を思い出しました。
これも以前UPした事があるはずですが・・・
「みんなちがって、みんないい。」
そうですね・・・
個性・・・大切な事だと思います。
そして、今夏この暑さで高齢の父にとって、一つの乗り越えなければならない大きな山が訪れております。
介護生活が始まったと言うわけではありませんが、以前に比べて関わらなくてはならない事が増えた事は残念ながら否めません。
いつまでも親が颯爽と子の前を歩き続けていられないのだなと・・・
わかってはいても、なかなか寂しいものです。
残された命の時なんて誰にも知る事は出来ません、神様以外には計り知れない事!
父の残された時が、穏やかで笑顔の溢れる日々にと、育てて貰った感謝を忘れずに向き合う日々を過ごしております。
自分の体調もこの年齢ですから、結構今までのようなパワーで走る事は出来ないと実感する日々の中で、この適齢期はないんだよ。
すべての瞬間が適齢期、何かを始めようと思い立った時が適齢期・・・良いアドバイスに出会え、感謝なり。
とても前向きになれたので、ご紹介させて頂きました。
映画、お芝居、LIVE等々、変わらず行ける時には行こうと・・・
なかなかここに記す時間やパワーが無いため、オンタイムでの勢いのある思いを綴れなくなっておりますが、自分の忘備録ですので、少しづつ・・・
本当に暑いです!
どうぞ皆様、お身体ご自愛下さいませ。
そそ、父と将棋を始めまして、ただいま7連敗中(爆)!
子供の頃からの遊びだったと言う父、このトリ頭のうさでは、なかなか(苦笑)。
しかし・・・ちびうさ、何と、何度目かで一勝を勝ち取りました。
孫との一戦、悔しいながらも楽しむ父の姿に、嬉しくて・・・